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《追悼緊急企画》R.I.P. DAVID BOWIE Part.1

2016/02/06

R.I.P. DAVID BOWIE (1)

 もう皆様も御承知と存じますが、2016年1月10日、デヴィッド・ボウイが亡くなりました。本稿はブリティッシュ・ロックのサウンドに関するコラムであることを承知の上で書かせていただくのですが、ちょっと強引とは存じながら、ボウイの音楽におけるギター・サウンドに関して、しばし続けてみたいと思います。実は70年代のボウイのギター・サウンドは、TONE BENDERやハイワット系アンプと少なからず関連もあるからです。以下、「ボウイとギター・サウンド」というテーマで、彼の歴史をおさらいしてみたいと思います。



 デヴィッド・ボウイは1964年に無名バンドのボーカリストとしてデビュー。最初のバンド(キングビーズという名前でした)はまったく売れずに短命に終わっていますが、65年にマニッシュ・ボーイズという新しいバンドで再デビュー。この時このバンドをプロデュースしたのはシェル・タルミーという大物で、彼はザ・フー、キンクス等を成功に導いた人物です。マニッシュ・ボーイズのデビュー曲はボビー・ブランドというブルースマンの「I PITY THE FOOL」というナンバーで、この曲でリード・ギターを弾いているのはジミー・ペイジでした。






 実はこの曲のジミー・ペイジのギターは結構ファズ音で歪んでます。が、この曲が録音された65年1月15日には、まだTONE BENDERはこの世に存在していません。ペイジがこの曲で使ったファズは間違いなく「ロジャー・メイヤーがペイジのためにカスタムメイドしたファズ」であることが判ります。ですが、残念ながらこの曲もまったくヒットしませんでしたが(写真は1965年、セッションマン時代のジミー・ペイジについて書かれた記事)。

 その後、ボウイはフォークギターを抱え、髪を伸ばしヒッピーなフォーキー作品を多数残しますが、彼が初めてヒットと呼べる楽曲を生んだのは1969年の「SPACE ODDITY」でした。つまり、ボウイは売れない歌手活動を6年近く続けていたことになりますね。

 1970年、ちょっとした転機が訪れます。65年頃からボウイと顔見知りだった人物に、マーク・ボランがいます。当時はお互いに「売れないシンガー」だったわけですが、ボランは先にTレックスのフロントマンとしてスターになっていました。で、ボウイとボランは1970年に共演曲「THE PRETTIEST STAR」を発表しています。マーク・ボランは丁度この頃から(それまでアコギばかりだった)ギターをエレキに持ち替え、R&Rスターとして人気街道ばく進中、という時期です。この曲でボランはエレキギターを担当しています。

 実際にこの曲の録音時の写真等は残されていないので推測の域を出ませんが、ボランのギターは間違いなくレスポール(58年製)で、まだネックを差し替えていない時期です(註:後にボランはこのギターのネックを折り、レスポール・カスタムのネックと差し替えている)。そして使用アンプは不確かですが、その音からもダラスRANGEMASTERを挟んでいるものと考えられます。ボランは基本的にエレキギターを弾く時はいつもRANGEMASTERを通していた人でしたが、その初期のサンプルといえると思います。



 実はこの「THE PRETTIEST STAR」のレコーディング・セッションにて、おかしなエピソードも残されています。無名時代にはお互い同じアルバイト(事務所の壁のペンキ塗り)を一緒にした仲だったにもかかわらず、一足先に大スターとなったマーク・ボランは、同曲のセッション中ボウイに常に高飛車な態度をとったそうです。で、それにムカっ腹を立てたボウイはセッション中ボランと一言も口をきかなかった、と言われています。うん、まあ、2人とも若いですね(笑)。

 1970年以降、マーク・ボラン率いるTレックスも、それからデヴィッド・ボウイも、同じプロデューサーが楽曲プロデュースをしていました。その人はトニー・ヴィスコンティという人物で、ボウイの遺作となった2016年のアルバム『★』(註:こう書いて“ブラックスター”と読みます)もヴィスコンティのプロデュースによるアルバムでした。マーク・ボランは77年に29歳で交通事故により亡くなっていますが、ボウイはヴィスコンティとの関係を40年以上にわたって崩さなかった、ということも驚きに値しますね。

 ボウイを新たに売り出すために、1970年に新しいバックバンドが作られることになりました。ベースはプロデューサーでもありトニー・ヴィスコンティ本人が担当。そしてこのときギターに採用されたのが、ミック・ロンソンというギタリストでした。

 ミック・ロンソンは1970年から1973年まで、音楽上のパートナーとしてボウイのサウンドに無くてはならない存在であることは御承知かと思われます。バカテクなわけでもなく、奇抜なフレーズを売りにするような存在でもありませんが、そのエモーショナルなフレーズと美しいギター・サウンド、そして卓越したアレンジ力でボウイ作品に派手な彩りを添えた人物です。

 レスポール・カスタム使いだったミック・ロンソンのサウンドは、「マーシャルMAJOR」というとんでもない爆音を生み出す200Wのアンプ、そしてファズに「TONE BENDER MK1」、それからワウ(CryBaby)、基本的にはこれだけで生み出されたものです。そう書いてしまえば簡単なのですが、実はロンソンが手にしたこれらの機材に関しては、非常に多くの逸話やウンチクが必要となり、一筋縄ではいかないものばかりです。
それらに関して、次回に続けます。

筆者紹介

TATS
(BUZZ THE FUZZ

ミック・ロンソンに惚れてから、延々とTONE BENDERの魔界を彷徨う日々を送る、東京在住のギター馬鹿。ファズ・ブログ「BUZZ THE FUZZ」主筆。スペインMANLAY SOUNDとの共同開発で各種TONE BENDERのクローン・ペダルを企画・発売すると同時に、英JMI~BRITISH PEDAL COMPANYでのTONE BENDER復刻品の企画・発売にも協力。季刊誌「THE EFFECTOR BOOK」(シンコーミュージック刊)ではデザインを担当。

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