
もう皆様も御承知と存じますが、2016年1月10日、デヴィッド・ボウイが亡くなりました。本稿はブリティッシュ・ロックのサウンドに関するコラムであることを承知の上で書かせていただくのですが、ちょっと強引とは存じながら、ボウイの音楽におけるギター・サウンドに関して、しばし続けてみたいと思います。実は70年代のボウイのギター・サウンドは、TONE BENDERやハイワット系アンプと少なからず関連もあるからです。以下、「ボウイとギター・サウンド」というテーマで、彼の歴史をおさらいしてみたいと思います。
デヴィッド・ボウイは1964年に無名バンドのボーカリストとしてデビュー。最初のバンド(キングビーズという名前でした)はまったく売れずに短命に終わっていますが、65年にマニッシュ・ボーイズという新しいバンドで再デビュー。この時このバンドをプロデュースしたのはシェル・タルミーという大物で、彼はザ・フー、キンクス等を成功に導いた人物です。マニッシュ・ボーイズのデビュー曲はボビー・ブランドというブルースマンの「I PITY THE FOOL」というナンバーで、この曲でリード・ギターを弾いているのはジミー・ペイジでした。
実はこの曲のジミー・ペイジのギターは結構ファズ音で歪んでます。が、この曲が録音された65年1月15日には、まだTONE BENDERはこの世に存在していません。ペイジがこの曲で使ったファズは間違いなく「ロジャー・メイヤーがペイジのためにカスタムメイドしたファズ」であることが判ります。ですが、残念ながらこの曲もまったくヒットしませんでしたが(写真は1965年、セッションマン時代のジミー・ペイジについて書かれた記事)。
1970年、ちょっとした転機が訪れます。65年頃からボウイと顔見知りだった人物に、マーク・ボランがいます。当時はお互いに「売れないシンガー」だったわけですが、ボランは先にTレックスのフロントマンとしてスターになっていました。で、ボウイとボランは1970年に共演曲「THE PRETTIEST STAR」を発表しています。マーク・ボランは丁度この頃から(それまでアコギばかりだった)ギターをエレキに持ち替え、R&Rスターとして人気街道ばく進中、という時期です。この曲でボランはエレキギターを担当しています。
1970年以降、マーク・ボラン率いるTレックスも、それからデヴィッド・ボウイも、同じプロデューサーが楽曲プロデュースをしていました。その人はトニー・ヴィスコンティという人物で、ボウイの遺作となった2016年のアルバム『★』(註:こう書いて“ブラックスター”と読みます)もヴィスコンティのプロデュースによるアルバムでした。マーク・ボランは77年に29歳で交通事故により亡くなっていますが、ボウイはヴィスコンティとの関係を40年以上にわたって崩さなかった、ということも驚きに値しますね。
ミック・ロンソンは1970年から1973年まで、音楽上のパートナーとしてボウイのサウンドに無くてはならない存在であることは御承知かと思われます。バカテクなわけでもなく、奇抜なフレーズを売りにするような存在でもありませんが、そのエモーショナルなフレーズと美しいギター・サウンド、そして卓越したアレンジ力でボウイ作品に派手な彩りを添えた人物です。TATS
(BUZZ THE FUZZ)
ミック・ロンソンに惚れてから、延々とTONE BENDERの魔界を彷徨う日々を送る、東京在住のギター馬鹿。ファズ・ブログ「BUZZ THE FUZZ」主筆。スペインMANLAY SOUNDとの共同開発で各種TONE BENDERのクローン・ペダルを企画・発売すると同時に、英JMI~BRITISH PEDAL COMPANYでのTONE BENDER復刻品の企画・発売にも協力。季刊誌「THE EFFECTOR BOOK」(シンコーミュージック刊)ではデザインを担当。