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HIWATT HISTORY (07)

2015/07/15

■JIMMY PAGE AND HIWATT part.1


 ジミー・ペイジ??彼のサウンドとアンプに関して書いてみたいと思います。既にファンの方であればご承知のように、レッド・ツェッペリンとジミー・ペイジ、そしてハイワット・アンプは切っても切り離せないコンビネーションでもあります。「いや、ジミー・ペイジといえばマーシャルだろ」というイメージがとても強いのは当方も承知しており、そこに異論を挟むつもりはありません。が、大方の予想に反して、実はハイワット・アンプは70年代のジミー・ペイジにとって無くてはならないものでもありました。

 まずはジミー・ペイジ本人の証言を載せます。2010年「ギターワールド」誌のインタビューの中で、ペイジ本人がハイワット・アンプについて、なぜハイワットを使うようになったかについて、60?70年代を回想している部分です。

「(前略)そんなワケでVOXアンプを使ってたのだけれど、その頃自分の周りを見渡してみたら皆一様にマーシャルのアンプを使ってた。それを見て、自分ではなんか違うものを選びたいな、と思い立った。それでハイワットを使ってみることにした。フットスイッチでオーバードライヴをコントロールできるヤツだ」。
「面白いことに、つい先日のことなんだけど、いや、ツェッペリンの再結成(註:2007年12月)の直前だったかな、自分の持っているアンプを全部セットアップして鳴らしてみたんだ。どれが使えるか使えないかをチェックしようと思ってね。その時僕のハイワットのサウンドには打ちのめされたね。ホントに最高だった」。

 短い発言ですが、ここでジミー・ペイジもマーシャルのアンプを使用していたけど、途中からハイワットをメインで使用したこと、そのハイワットのアンプはカスタムメイドで、一般的なDR103とは違いフットスイッチ機能を持っていることがわかります。ペイジが使ったハイワットのヘッドに関して、その構造の詳細は後述するとして、まずはZEP時代の彼のアンプ使用歴を簡単におさらいしてみたいと思います。

 ツェッペリンの最初のアルバム(69年)では、後にあの名曲「天国への階段」(71年)でもお馴染みとなる小型のコンボ・アンプ、SUPRO 1624T DUAL TONEが全曲において使用されました。つい最近アメリカSUPRO社がこのアンプの完全復刻品を発売し、人気を博していますが、実はペイジが所有・使用したSUPROはモディファイが施されています。インプットゲインをアップし、トレモロ用のフットスイッチを付加、更にスピーカーも入れ替えられており(このモディファイに加えて、ペイジ本人の証言や、このアンプをペイジと一緒に買いに行ったというアルバート・リーの証言も含めて、どれもが曖昧であるため、実は今だにモデル名が1624Tか1960Tか正確には判明していません)、分かっていることは12x1のスピーカーとインプット・ゲイン回路、トレモロのフットスイッチ、そしてアンプの筐体(外観)が大幅に改造されている、ということだけです。

 同69年秋に発売されたZEPのセカンド・アルバムではスタジオ録音でもマーシャル1959を使用するようになり、ギターもレスポールがメインとなります。以降、スタジオ録音に関しては(いくつか例外もありますが)基本的にレスポール&マーシャルという組み合わせでペイジ・サウンドが生み出されています。

 では当時のステージ上ではどういったアンプを使っていたか。ヤードバーズ時代は、フェンダー SUPER REVERBやDUAL SHOWMAN等を使用していたペイジですが、68年前後、ヤードバーズ後期からZEP結成の最中にあたるその時期に、大出力アンプの必要性にかられたペイジはいくつか100W超の大型アンプを入手しています。ZEP初期の写真からは、リッケンバッカーTRANSONIC(200W)、マーシャル1959(100W)、ダラス・アービターONE HUNDRED(100W)、オレンジ(マットアンプ)OR200(200W)、VOX UL-4120(120W)、そしてハイワットのカスタムヘッド(100W)等を見つけることができます。実はこれらのアンプの大半は今もペイジ本人が所有しており、2008年に公開された映画「IT MIGHT GET LOUD」の中でこれらのアンプが映し出されています。ペイジ先生、物持ちがいいですよね(笑)。

 話を戻します。まだレコード・デビュー前に初ツアーを行なったZEPですが、その最初のツアーで使用されたアンプはダラス・アービターONE HUNDRED(100W)でした。以前にも当コラムで触れましたが、このアンプは英ダラス・アービター社がアンプ製造を始めた頃に作られたカスタムメイドのアンプです。4インプット、4ボリューム(各インプットのゲイン)、3バンドEQ、そしてマスター・ボリュームを搭載したアンプで、真空管は入力段に6AQ8を5本、出力段にKT88を4本使用したものです。確たる証拠はないのですが、その外観、内部仕様、ブランド等から判断して、このアンプは後にハイワットで名声を馳せることになるデイヴ・リーヴスが作ったアンプに間違いないだろうと思われます。ペイジはこのアンプを68年から69年6月まで、ライヴ・ステージでメインで使っていました。

 その後断続的に延々と世界をツアーしたレッド・ツェッペリン。本稿では細かなツアー日程に触れることはしませんが、69年7月から71年9月にかけて、レッド・ツェッペリンのライヴ・ステージにてメインで使用されたアンプはハイワットの100Wアンプ・ヘッドでした。この2年強の期間で数多くのステージをこなしたジミー・ペイジですが、ハイワットを使用しなかった日はこの2年強の間にたった2?3度しかない、という調査結果も今は判明しています。この期間の間にツェッペリンは来日公演も行なっていて、初来日は71年9月ですが、この来日の際にもペイジはハイワット・アンプを使用しています(来日公演ではマーシャル1959と併用)。

 さて、ペイジが残した最高のライヴ演奏のひとつに挙げられることも多いものとして、1970年1月9日、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行なわれたレッド・ツェペリンのライヴがあります。このライヴは映像化され、現在もツェッペリンの公式DVDにて見る事ができますので、ギターを弾く弾かないにかかわらず、多くのブリティッシュ・ロック・ファンが影響を受けたソースと言えるでしょう。

 この日のZEPの演奏がどれだけ最高だったかは実際に映像をご覧いただくしかないと思いますので本稿でクドクドと書くことはしませんが(笑)、この日のペイジの演奏に惚れ込んだギタリストが今も昔も世界中に数多くいることを示すひとつの例を書きます。アメリカ・オレゴン州を拠点にギター・エフェクターを製造してるカタリンブレッド(Catalinbread)というブランドがありますが、このブランドから「RAH」という名のオーバードライヴ・ペダルが発売されています。このペダルはその名にも想いが込められていますが、70年1月9日のジミー・ペイジの音をペダルで再現せんと企画・制作されたエフェクターなのです。

 さて、そのロイヤル・アルバート・ホールで70年1月9日にジミー・ペイジが使ったアンプは、やはり2台のハイワットの100Wアンプヘッドでした(2台はチャンネルリンクにて数珠つなぎ使用されています)。これはペイジの為にカスタムメイドされたもので、製造者はもちろんデイヴ・リーヴスです。この日ジミー・ペイジが使用した機材は、ギターがギブソンLES PAUL(通称NO.1)、DANELECTRO 59DC(変則チューニング/1曲のみ)、ギブソンLES PAUL CUSTOM(3PU、BIGSBY付き)の3本。エフェクターはマエストロECHOPLEX(テープエコー)とVOXのグレー・ワウ、アンプは前述したようにハイワットのカスタム100Wヘッドを2台、そしてキャビネットはマーシャル1960を4台、以上です。

 つまりこの日ジミー・ペイジが生み出した「歪み」は、すべてハイワットのアンプをクランクさせて生み出されたものだったのです。過去にファンの間で「ロイヤル・アルバート・ホール公演で使われたファズは何か?」という論争がネット上で延々と交わされたこともありましたが、実際にはこの日ペイジの足下にファズはありませんでした。(この項つづく)

筆者紹介

TATS
(BUZZ THE FUZZ

ミック・ロンソンに惚れてから、延々とTONE BENDERの魔界を彷徨う日々を送る、東京在住のギター馬鹿。ファズ・ブログ「BUZZ THE FUZZ」主筆。スペインMANLAY SOUNDとの共同開発で各種TONE BENDERのクローン・ペダルを企画・発売すると同時に、英JMI~BRITISH PEDAL COMPANYでのTONE BENDER復刻品の企画・発売にも協力。季刊誌「THE EFFECTOR BOOK」(シンコーミュージック刊)ではデザインを担当。

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