
前述したように、デイヴ・リーヴスの作るハイワット・アンプは、60年代の終わり頃からシーンで急激に有名になっていきました。自身のハイワット・ブランドのアンプ製作で多忙となったため、1969年の時点でデイヴ・リーヴスはダラス・アービター社との契約であったサウンド・シティー・アンプの製作を打ち切ります(デイヴ・リーヴスがサウンド・シティーで手がけたのは同社100WアンプのMK1からMK3初期まで、と言われており、それ以降はブライアン・ハッカーが回路デザイン/設計したアンプを発売していくことになります)。
70年代のハイワットがラインナップしていた自社製品として、74年のカタログには以下の製品が記載されています=100Wのヘッド(DR103)、50Wのヘッド(DR504)、200Wのベース用アンプ(DR201)、4x12のスピーカーキャビネット2種(ギター用/ベース用)、2x15のベース用キャビ、50Wのコンボ・アンプ2種(スピーカーは2x12と4x12の2パターン)。この他PA用アンプやPA用スピーカー等の記載もありますが、それらはほぼ受注生産に近い形で製造されていたと思われます。
少々ギター・アンプからは話がそれますが、ハイワットは実はPA用としても優れたアンプを作り続けたブランドでした。ギターやベースのアンプ・デザインとは異なりますが、ハイワットのPA用アンプを担当していたエンジニアはグラハム・ブライス、そしてフィル・ダダリッジという人物で、ともにレッド・ツェッペリンのツアー・エンジニアを経て、その後サウンドクラフトというプロオーディオ機器メーカーを創設した人物です(フィル・ダダリッジは現在ルパート・ニーヴ氏が創設したフォーカスライトというメーカーの社長になっています)。彼らが70年代にハイワットの名の元に製造したPAアンプは、ヨーロッパでは高いシェアを誇っていました。
ハイワット・アンプがバイアクラウン社製になってもその内部ワイアリングはこれまで通りハリー・ジョイスが担当しましたが、会社は徐々に負債を抱え、賃金の未払い等が続くようになり(ハリー・ジョイスにも賃金未払いが続いたために、バイアクラウン期ではほんの僅かしか協力しなかった、とのこと)、このバイアクラウン社は84年に倒産しています。ちなみにハリー・ジョイスはその後93年に自身のアンプ・ブランド(そのまま「HARRY JOYCE」の名のブランドでした)を興し、ハンドメイドのミリタリー・スペックを厳守、というハイワット時代と同じ意図/デザインでギター・アンプを作っていました。しかし彼も2002年に亡くなっています。
そして現在、ハイワット・ブランドは再びイギリスに専門の工場を構え、クラシックなブリティッシュ・サウンドを再びそのまま蘇らせることになりました。余談になりますが、現在のハイワット工場で働くエンジニアに技術的なアシスタントを与えたのはオーディオ・ブラザーズの2人だったそうです。
現在のハイワット公式HPには「Constructed exactly like the Dave Reeves originals/デイヴ・リーヴスが作ったオリジナルと全く同じように製造」という一文もあります。この文章が示している通り、こんにちのハイワット・ブランドはデイヴ・リーヴスが頑なに守った伝統的なブリチッシュ・アンプの製造をメインにしていますが、ジミー・ペイジ、デヴィッド・ギルモア、ピート・タウンゼンドが所持・仕様したカスタマイズ・ハイワット・ヘッドもシグネチャー・モデルとして復刻、発売しています。TATS
(BUZZ THE FUZZ)
ミック・ロンソンに惚れてから、延々とTONE BENDERの魔界を彷徨う日々を送る、東京在住のギター馬鹿。ファズ・ブログ「BUZZ THE FUZZ」主筆。スペインMANLAY SOUNDとの共同開発で各種TONE BENDERのクローン・ペダルを企画・発売すると同時に、英JMI~BRITISH PEDAL COMPANYでのTONE BENDER復刻品の企画・発売にも協力。季刊誌「THE EFFECTOR BOOK」(シンコーミュージック刊)ではデザインを担当。