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HIWATT HISTORY (03)

2015/05/14

■70年代のハイワット

 前述したように、デイヴ・リーヴスの作るハイワット・アンプは、60年代の終わり頃からシーンで急激に有名になっていきました。自身のハイワット・ブランドのアンプ製作で多忙となったため、1969年の時点でデイヴ・リーヴスはダラス・アービター社との契約であったサウンド・シティー・アンプの製作を打ち切ります(デイヴ・リーヴスがサウンド・シティーで手がけたのは同社100WアンプのMK1からMK3初期まで、と言われており、それ以降はブライアン・ハッカーが回路デザイン/設計したアンプを発売していくことになります)。
 そして70年代に入りハイワット・アンプは、ワイアリング/シャーシ内部製造の専門家ハリー・ジョイスとのコラボ作業で製造されました。より製造規模を拡大したハイワットは、72年に再度ファクトリーを引っ越し、パークロードの16番地に住所を移します。

 70年代のハイワットがラインナップしていた自社製品として、74年のカタログには以下の製品が記載されています=100Wのヘッド(DR103)、50Wのヘッド(DR504)、200Wのベース用アンプ(DR201)、4x12のスピーカーキャビネット2種(ギター用/ベース用)、2x15のベース用キャビ、50Wのコンボ・アンプ2種(スピーカーは2x12と4x12の2パターン)。この他PA用アンプやPA用スピーカー等の記載もありますが、それらはほぼ受注生産に近い形で製造されていたと思われます。
 少々ギター・アンプからは話がそれますが、ハイワットは実はPA用としても優れたアンプを作り続けたブランドでした。ギターやベースのアンプ・デザインとは異なりますが、ハイワットのPA用アンプを担当していたエンジニアはグラハム・ブライス、そしてフィル・ダダリッジという人物で、ともにレッド・ツェッペリンのツアー・エンジニアを経て、その後サウンドクラフトというプロオーディオ機器メーカーを創設した人物です(フィル・ダダリッジは現在ルパート・ニーヴ氏が創設したフォーカスライトというメーカーの社長になっています)。彼らが70年代にハイワットの名の元に製造したPAアンプは、ヨーロッパでは高いシェアを誇っていました。

 話を戻します。70年代に大成功(とはいえ、ハンドメイドの製品ですからその規模はそれほど大きいとは言えないでしょうが)を収めたハイワット。デイヴ・リーヴスは70年代にはアメリカに支社を作り、また自身が大好きだというモーターレース、フォーミュラ1(F1)のスポンサーになったりもしました。ハイワットのロゴを付けたスポーツカーがF1レースで当時実際に走っていたそうです。

■80年代のハイワット


 本稿では個々のハイワット・アンプの紹介もしたいのですがそれは後の機会に譲るとして、歴史の記述を先に急ぎます。70年代を、そして英国サウンドを代表するアンプ・ブランドのひとつとなったハイワットでしたが、80年代に入り事態は一変します。1981年3月、デイヴ・リーヴスは不慮の事故で急逝したからです。当時彼は身内がおらず、そしてもちろん遺言等もなく、彼の所有していた権利等はすべて弁護士に一任されることになりました。

 そこで、当時ハイワットのファクトリーで働いていた従業員達により新たにバイアクラウン(BIACROWN)という新会社を設立、ここでハイワット・ブランドのアンプの製造を引き継ぐことにします。デイヴ・リーヴス氏が存命の時期(66年・1年)のハイワット製品を「ハイライト(HYLIGHT)期」、それ以降(81年・4年)のハイワット製品を「バイアクラウン(BIACROWN)期」と呼ぶのはこのためです。

 ハイワット・アンプがバイアクラウン社製になってもその内部ワイアリングはこれまで通りハリー・ジョイスが担当しましたが、会社は徐々に負債を抱え、賃金の未払い等が続くようになり(ハリー・ジョイスにも賃金未払いが続いたために、バイアクラウン期ではほんの僅かしか協力しなかった、とのこと)、このバイアクラウン社は84年に倒産しています。ちなみにハリー・ジョイスはその後93年に自身のアンプ・ブランド(そのまま「HARRY JOYCE」の名のブランドでした)を興し、ハンドメイドのミリタリー・スペックを厳守、というハイワット時代と同じ意図/デザインでギター・アンプを作っていました。しかし彼も2002年に亡くなっています。

 80年代、バイアクラウン期のハイワット製品は“時代の要望に答える”という形で、当初デイヴ・リーヴスの考えたスペックから徐々に離れた製品を生み出すようになりました。それはパートリッジ・トランスの採用を見送ったり(註:パートリッジのトランスはとても高額なことで知られています。バイアクラウン期のハイワット製品はマーシャル製品で有名なドレイク社のトランスを主に使用しました)、オーバードライブ・モデルという名目で、プリアンプ部のゲインを高く設定したモデル(「OL」)を発売したり、という具合です。後者に関しては、もちろん当時ライバルでもあるマーシャル社が新しい「JCM」シリーズを発売したことに対する対抗策、とも考えられます。

■90年代以降のハイワット


 バイアクラウン社の倒産後、ハイワットというアンプ・ブランドの商標は日本のフェルナンデス社が部分的に買い取り、日本企画でハイワット製品が発売された時期があります。この時期、主にエントリー・モデルとしてラインナップされた製品は韓国等で製造されたものもありましたが、メイン・プロダクトとして100Wアンプ・ヘッドをはじめとするハイエンド製品に関しては、イギリス製を貫きました。

 この時期にフェルナンデスと契約を結びイギリスでハイワットのアンプを作っていたのはオーディオ・ブラザーズ(AUDIO BROTHERS)という会社で、92年から98年までの7年間にわたってハイワットのハイエンド・モデルを製造しました。オーディオ・ブラザーズはスティーヴ・ギブスとリチャード・シニアという2人のエンジニアだけで運営するアンプ製造会社で、規模は大きくありませんが、60年代にデイヴ・リーヴスが行なったように、ハンドメイドでハイエンドな質の高いアンプ作りを目指しました。クラシックなハイワットの魅力をそのまま受け継ぎ、真摯に再現しようとしたオーディオ・ブラザーズでしたが、98年に契約が切れ、その後彼らは「BOOKER」という名のオリジナル真空管アンプ等を製造するようになります。

 その後、ハイワットのブランド権利は英国国内、日本&北米地域、その他、といったカンジで地域別で数社に分割されることになりましたが、1999年以来英国国内でハイワット・アンプを製造しているHIWATT UK社が、全世界のハイワット・ブランド・ライツを取得、2013年、その商標は再びハイワット・アンプが生まれた地・イギリスにて一括で世界的にまとめることになりました。

 そして現在、ハイワット・ブランドは再びイギリスに専門の工場を構え、クラシックなブリティッシュ・サウンドを再びそのまま蘇らせることになりました。余談になりますが、現在のハイワット工場で働くエンジニアに技術的なアシスタントを与えたのはオーディオ・ブラザーズの2人だったそうです。

 現在のハイワット公式HPには「Constructed exactly like the Dave Reeves originals/デイヴ・リーヴスが作ったオリジナルと全く同じように製造」という一文もあります。この文章が示している通り、こんにちのハイワット・ブランドはデイヴ・リーヴスが頑なに守った伝統的なブリチッシュ・アンプの製造をメインにしていますが、ジミー・ペイジ、デヴィッド・ギルモア、ピート・タウンゼンドが所持・仕様したカスタマイズ・ハイワット・ヘッドもシグネチャー・モデルとして復刻、発売しています。

*special Thanks to : Mark Huss (Hiwatt Information Page), soundcitysite.com, Adam Easton (Hiwatt UK).

筆者紹介

TATS
(BUZZ THE FUZZ

ミック・ロンソンに惚れてから、延々とTONE BENDERの魔界を彷徨う日々を送る、東京在住のギター馬鹿。ファズ・ブログ「BUZZ THE FUZZ」主筆。スペインMANLAY SOUNDとの共同開発で各種TONE BENDERのクローン・ペダルを企画・発売すると同時に、英JMI~BRITISH PEDAL COMPANYでのTONE BENDER復刻品の企画・発売にも協力。季刊誌「THE EFFECTOR BOOK」(シンコーミュージック刊)ではデザインを担当。

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