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HIWATT HISTORY (01)

2015/04/12
 ハイワット。その名はマーシャル、VOX、オレンジ等と並んで、ロック・ギターの歴史を長らく彩ってきた重要な位置を占めるアンプ・ブランドの名前です。ハイワットのアンプが世に知られるようになって以降、その堅牢かつ斬新なサウンドは発生国であるイギリスのみならず、世界中で熱い支持を集めています。それはブリティッシュ・ロック全盛期の60?70年代において、「斬新、かつ堅牢」というプロのギタリストが求めていたアンプの理想像に他なりませんでした。

 ハイワットにはDR103という歴史的名器があります。このアンプが世に登場してから45年以上が経ちますが、このDR103はVOXのAC30やマーシャルの1959等と並び、まさにクラシックなブリティッシュ・アンプの代名詞としてその名を不動のものとし、今後もその名声が受け継がれていくことは間違いありません。実は45年以上の歴史の中で、些細なマイナーチェンジを経たこともありますが、現在流通しているDR103は、その誕生した当時とほぼ同じ構成/製造工程に戻っています。

 21世紀となった今では、もちろん世界中のアンプ・ブランドやアンプ・ビルダーが研究を積み重ね、多種多様なアンプが日々発売され続けていますが、そんな今日であっても、ハイワット・アンプの魅力は失われていません。それはなぜか。異論もあろうかと思いますが、ブリティッシュ・ギター・サウンドの殆どは、ハイワットDR103が誕生した時点ですでにある程度究極に近い位置まで突き詰められていたから、と考えることができるからです。

 どんなにオールドファッションであろうとも、良い物は良い、と考えるハイワットは、現在、あえて40年以上前の技術とパーツを使い、40年以上前と同じ方法でアンプを製造しています。

 以下、ハイワットというアンプ・ブランドに関して、その歴史/時間軸に沿ってブランドの成り立ちやアンプ・モデルの解説をしていくと共に、登場から40年を経た現在もなぜハイワットが魅力的なのか、をひとつひとつ見て行こうと思います。また、本稿では歴史や機種紹介だけではなく、多岐にわたるハイワット・ユーザーの紹介や、プロ・ギタリストによるアンプ・インプレッション(動画付き)等も掲載予定です。

デイヴ・リーヴス


 ハイワット・アンプの名器DR103の「DR」はもちろん彼のイニシャルから取られたものですが、デイヴ・リーヴス、彼こそがハイワットの創始者であり、ハイワット・アンプの名声はそのまま氏の名声とイコールでもあります。

 デイヴ・リーヴスがアンプ・ビルダーとして有名になったのはハイワット以前の時代にまでさかのぼります。彼の出生に関して正確な誕生年は明らかではないのですが、1940年前後、と考えられます。1950年代の後半には学校(専門学校)で電子機器の勉強に励み、50年代終わり頃には卒業、マルコーニ電子やムラードといったイギリスの電子機器の会社に就職しています。この「ムラード」は、もちろん真空管やトランジスターで今も世界的に有名なあのムラード社です。

 60年代に入り、日中は上記の会社で仕事に励むかたわら、帰宅すると自宅の小さな部屋で自作の音響機器を制作する事や、知人に頼まれた音響機器の修理に励むようになったそうです。この頃から「自分で会社を持ちたい」と考えるようになったとのこと。

 63年、自作で初めてのギター・アンプを制作したデイヴ・リーヴスでしたが、運が悪いことに、66年に彼はムラード社から解雇されます(彼の名誉の為に記しますが、これは業績が悪いとかそういった理由ではなく、会社が人員削減をしてスリム化を計ったため)。この時彼は800ポンドの退職金を得ていますが、それを資金にして、自宅にガレージを備えた物件へと引っ越します。もちろん、この800ポンドが、彼の独立を後押ししたことは間違いありません。(註:貨幣価値に関して参考例を出します。1966年当時、イギリスで新作LPの価格は3ポンド前後、ファズ・ペダル SOLA SOUND TONE BENDERの発売価格は14ポンド、VOX AC30の発売価格は106ポンドでした。800ポンドあれば新品のAC30が8台も買えるわけです)。

 1966年、デイヴ・リーヴスは自宅ガレージを拠点に「ハイライト・エレクトロニクス(HYLIGHT ELECTRONICS)という会社を立ち上げます。この時点では「アンプ製造&修理」を行なう小さな工房で、もちろん従業員は彼一人しかいませんでした。

 そして1967年、デイヴ・リーヴスに最初の転機が訪れます。それはサウンド・シティーという楽器ブランドからの発注でアンプの制作を請け負う仕事をもらったことです。この時彼は前述の退職金に加え、アンプ製造の契約料として更に800ポンドを手にします。アンプ製造を「本業」とすることにしたデイヴ・リーヴスは、その製造工程を考えてさらに大きなガレージを持った物件へと引っ越しました。

 「サウンド・シティー」は正確には当時の楽器店の名前でした。この楽器店を経営していたのはダラス・ミュージカル・リミテッドという会社で、丁度この頃に同社は歴史的名器として名高いギター・エフェクターでもあるRANGEMASTERやFUZZ FACEを発売しています。そのダラス社がロンドンのウエスト・エンド地区に3店舗を構えた楽器店が「サウンド・シティー」で、この楽器店が新しいブランドとしてギター・アンプを開発・発売するとなった時に「サウンド・シティー」の名を用いたのです。故にサウンド・シティー・ブランドの製品にはすべて「Dallas Arbiter, Ltd.」とかその前身の企業名でもある「Arbiter Electronics」とかの製造元がクレジットされています。(この項続く)


筆者紹介

TATS
(BUZZ THE FUZZ

ミック・ロンソンに惚れてから、延々とTONE BENDERの魔界を彷徨う日々を送る、東京在住のギター馬鹿。ファズ・ブログ「BUZZ THE FUZZ」主筆。スペインMANLAY SOUNDとの共同開発で各種TONE BENDERのクローン・ペダルを企画・発売すると同時に、英JMI~BRITISH PEDAL COMPANYでのTONE BENDER復刻品の企画・発売にも協力。季刊誌「THE EFFECTOR BOOK」(シンコーミュージック刊)ではデザインを担当。

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